ハルカナ景色

ツイッターの文字数では書ききれないようなことを書くブログです。話題は多方面になりそう。

ファンはたとえ批判はしても、誹謗中傷をしない。

  以前、就活をしていたときに、とある

出版社を受けたことがあります。そこの看板雑誌の

一つを担当している編集者の方にお話を聞く

機会がありました。曰く、その方は面接のときに

看板雑誌について聞かれて、こう言ったそうです。

 

「批判はしても、誹謗中傷をしないところに

素晴らしさを感じています」

 

 批判を辞書で引くと、こう書いてあります。

kotobank.jp

 

 一方、誹謗中傷はこのとおり。

kotobank.jp

 

 辞書にもあるように、普段、私たちはこの

2つの言葉を、そこに根拠があるかどうかで

使い分けています。何の脈絡もなく、覚えの

ないことで悪く言われたら、それは誹謗中傷。

何かに基づいて十分に考えた上で、それでも

おかしいと思うことに対して言う。それは批判。

 

 わたしは先日、12年間ファンを続けている

KAT-TUNの上田さんを批判する記事を書きました。

 

wwe1974.hatenablog.com

 

 要約しますと、今年のライブで上田さんが

ファンに対して「ぶっ殺す」という言葉で

煽ったり、また中指を立てるという行為も

していることに対して、それはやめるべきだと

思う。そういったことを書きました。

 

 まず「ぶっ殺す」ですが、そもそも言葉の

持つ意味からして不健全であることは言わずもがな、

ましてやここのところ災害続きの日本において、

今、最も耳にしたくない言葉の一つではないか。

そう思い、言うべきではないと書いた次第です。

 また、中指を立てる行為ですが、これは日本では

カッコつけたポーズみたいな認識かもしれません。

しかし、極端な話、諸外国ではそのジェスチャー

一つで、身を危険にさらすことになります。

日本の、ライブ会場という限られた場であれば

問題ないという考えもあるでしょう。しかし、

会場にいるファンの中には当然、外国の方も

いらっしゃるはず。そういったとき、単に文化の

違いだけで片付く問題ではなくなる可能性が

あります。それであれば、何も無理にやる必要は

感じられません。

 

 この2つの理由により、私はファンになってから

おそらく初めて、上田さんを批判しました。

上記の記事では様々な反応をいただきました。

そのほとんどは、同意・否定にかかわらず、建設的な

意見に基づいたものであり、おかげで私自身の

心境もだいぶ落ち着くことができました。

 しかしながら、一方で「ファンならすべて

受け入れてしかるべき」とうスタンスで、

一方的にアンチ認定されることもありました。

嫌ならライブに来なければいい、と。私が

ライブに来なくなることで、すべて解決するなら

ハイフンをやめることもいとわないですが、

そうではありません。

 

 そこで、改めて思うことがあります。

「ファンである以上は、何もかも盲目的に

受け入れなくてはいけないのか」ということです。

私は、必要に応じて言いづらいことでも批判する

ことが、ファンの役目の一つだと思っています。

 誤解しないでいただきたいのですが、批判が

前提にあるわけではありません。あくまで、

個人的な感情論に頼るのではなく、傍観者として

見た場合でも違和感を覚えること。私が批判する

場合の絶対条件はそこです。

 

 誰も、批判したくてする人はいないと思います。

ただ、本当はしたいことがあっても、できない

人の中には「批判=アンチだと思われてしまう」

という懸念があるのではないのでしょうか。

 批判と誹謗中傷は違います。根拠があって、

そこに批判対象を思う気持ちがあるのであれば、

一方的にアンチ認定するのはあまりにも乱暴です。

 もちろん、批判ばかりでは自分自身も周りも

疲弊してしまいます。なので、例えば批判を一つ

したときは、それよりはるかに多く、批判対象の

好きなところを挙げてみるのもいいと思います。

 やり方、考え方は人それぞれですし、何かを

好きになる気持ちも、ひとくくりにはできません。

 だからこそ、批判を絶対的な悪ととらえるのでは

なく、ほんの少し立ち止まって、改めて考える時間に

することができればいいなと、個人的には思うのです。